津軽鉄道の歩み
津軽半島に位置する中里は、三大美林の一つと言われる「青森ヒバ」の産地で栄えた地域です。明治39年から4年の歳月をかけて、中里から青森市の沖館までを結ぶ森林鉄道として完成したのが、津軽鉄道の沿革となっています。この森林鉄道が引かれるまでは、ヒバの伐採は斧を使った手仕事で、牛や馬を使って里に搬送されていましたが、鉄道の完成とチェンソーの普及により、一本のヒバの木を伐採するスピードが5分とかからず、大量に伐採されて運び出されるようになりました。この森林鉄道は昭和42年まで続き、中里一帯のヒバは見事に伐採され尽くされてしまいました。
ヒバの木が成木になるまでには、最低でも60年はかかるとされています。地元の木工業を経営している老人は、「昔は、とにかくヒバの伐採で栄えた町だった。しかし、鉄道が引かれてどんどん伐採が進み、今は昔みたいなヒバは「不動の滝」近くに自然ヒバが少し残っているぐらいだ。」と語ってくれました。まさに森林鉄道は、その使命を果たして、58年間の幕を閉じたのです。
しかし、この森林鉄道は、地元の人達の「生活の足」としても活用されていた為に、その後、地元の有志により再び私鉄「津軽鉄道」として息を吹き返しました。今は「ストーブ列車」等も走り、多くの観光客が訪れるようになり、その存続を図っています。
この沿線には、津軽が生んだ小説家、太宰治の生家でもある「斜陽館」や、桜で有名な芦野公園があり、津軽中里駅の先には、中世都市の十三湊(とさみなと)跡地などがあり、春夏秋冬いつ来ても鉄道の旅が楽しめます。また、五所川原市は「スコップ三味線発祥の地」であり、スコップを三味線代わりに演奏する奏者がいて、全国大会も開催されています。
「金木駅」では、「斜陽館」を尋ねる旅人が多く乗車してきます。この町は、今や太宰治の生家「斜陽館」と「地吹雪ツアー」の町として全国的に有名な町です。
「斜陽館」は、明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)の手で建設された入母屋作りの建物で、明治40年、米蔵にいたるまで日本三大美林のこの地域で採れたヒバを使い、当時のお金で工事費約4万円をかけて造られたそうです。ここを訪れたら、斜陽館の道路を挟んで真向かいにある「津軽三味線会館」を訪れるのも良いでしょう。津軽三味線の歴史を知るのにはちょうどよい場所です。
平安時代の終わり頃から12世紀にかけて作られた「十三湊」は、15世紀後半までの長い年月を国際貿易港として、環日本海社会の中心都市として栄えてきました。そして、海外との交易を深め、十三の繁栄を支えていたのが、今では謎の人物とも言われる安東氏の存在です。
安東氏は、鎌倉時代から室町時代にかけて、日本海の貿易を中心として栄えた人物で、十三湊にも館の跡があり、数々の貿易を行った人物です。しかし、その所在は数多く残されていない為に幻の人物され、その中世都市十三湊もまだ発掘途中であり、現在発掘調査が続いています。中世に書かれた「廻船式目」(かいせんしきもく)」の中では、「津軽十三の湊」として、博多や堺と並ぶ全国「三津七湊」(さんしんしちそう)の一つとして数えられ、その繁栄ぶりが伝えられています。その他、複数の文献に、巨大な富を抱え、各地と交易を結んだ豪族「安東氏」の存在と共に記録されています。その場所までは、津軽中里駅からバスで1時間ほどです。しかし、この地を訪れるのであれば、五所川原市からレンタカーで出かけ、十三湖を一周すると良いと地元の方から聞きました。ここは有名な十三しじみ貝がとれる場所です。しじみラーメン・しじみ定食は最高です。
この地域に残る数々の伝統行事も季節折々であり、津軽を知る旅が楽しめます。3月は「百万遍念仏」と言って、大きな百八の珠を回して操る行事があります。町には百万遍塔があり、疫病、虫送りの行事へと繋がっていきます。そして田植えを行い、田植えが終わると5月、津軽の神楽が町々で繰り広げられ「作物が無事育ちますように」と願うのです。6月は「虫送り」が行われ、村々の入り口と出口で火を焚き、悪い虫が村に入らないようにします。7月は、今生の賽の河原をイメージし、イタコもでてきて行う行事、8月は盆踊り、9月は猿賀神社に豊穣の祭りを行う、というように、一年中行事が展開されている地域でもあります。
この津軽鉄道に乗るには、五所川原駅を目指します。青森駅から五所川原駅へ「リゾートしらかみ号」や普通電車で行きます。青森駅〜弘前駅間は40分、弘前駅〜五所川原駅までも40分ほどです。
今年弘前市は、「弘前城築城400年祭」と称して、弘前城雪燈籠まつりが行われていました。津軽鉄道も、終着駅までは40分ほどかかります。但し、ストーブ列車は、今の季節は1日に一往復しか走っていないので、予め確認してから出かけることをお勧めします。また、料金は最終駅までは840円、ストーブ列車は別途240円かかります。往復に「ストーブ列車」を利用すると見所も少なくなるので、行きは普通列車、帰りはストーブ列車というのがいいと思います。その逆でもいいですが。
五所川原駅に隣接して、津軽鉄道の駅舎があります。少しレトロな建物です。
分厚い切符を購入して列車に乗り込むと、優しく「どこからお出でですか」と声をかけてくれる人がいます。津軽鉄道に乗車している「奥津軽トレインアテンダント」といわれる人達です。お客様がどこから来て、何をしようとしているかということを聞いて、わからない事は何でも教えてくれます。この辺でおいしい飲み屋さんや、食べ物屋さんなんかも、気持ちよく教えてくれるので、何でも質問してみると良いですね。
ディーゼル機関車独特の音を立てて発車する津軽鉄道は、「走れメロス号」と名前が付いていて、とても面白い雰囲気を醸し出しています。
津軽の冬といえば「地吹雪」です。津軽平野の中を走る電車は、線路が雪の中に隠れてしまうほどです。駅は、独特の雪囲いで守られているところもあります。
今回は、真っ白な雪原の中でしたが、秋には黄金色の田んぼの中を走ることになります。この鉄道は、地吹雪の中をどのようにして走るのだろうと思うぐらい、一瞬の地吹雪で前が見えなくなります。怖い気がしますが、これが普通なのだそうです。「毘沙門駅」とか、駅名もおもしろいです。
こんな真っ平らな場所だと、一度雪が舞うと、前がほとんど見えません
最終駅の津軽中里駅で降りると、「中泊町総合文化センター」があります。ここには、この地域の歴史と文化についての展示がしてあり、入場料200円でたっぷり見学できます。
また、駅付近にある木工所は看板もなく、前の通りの戸を開けると、木工品の品々が展示してあります。手作りの椅子や、木のおもちゃ、積み木はすべて青森ヒバでてきています。ご主人と立ち話をしていると、珍しい物を見せようかと言われて見せて頂いたのは、土の中に何十年も埋もれていたヒバの根っこです。普通のヒバ木の白いものとは違い、茶色のヒバ材は珍しく、なかなか手に入らないということです。ご主人は、「もし当時の青森ヒバ林の面影をみたいなら、夏場に来てくれれば案内するよ」と言ってくれました。是非、夏場に天然ヒバの森を訪ねてみたいと思いました。
津軽中里駅の中には、だるまの石油ストーブがあり、そこに座って地元の婦人会の人が作ったけんちん汁を食べました。寒い雪の中を歩いてきたから、あたたかいけんちん汁は五臓六腑に染み渡り、体の中からもあたたまることができました。
帰りは、ストーブ列車に乗って五所川原駅に行くことにしました。少し早めにストーブ列車に乗ったら、津軽鉄道実行委員会の人が、スルメと缶ビールを販売していて、スルメはやめて缶ビールを購入しました。津軽鉄道実行委員会の方は、津軽の語源や鉄道の歴史などを教えてくれました。
ストーブの扉を開け、そこに石炭を入れます。黒光りした石炭は、北海道釧路市の方から持ってきているといいます。この辺の家々では、昔の暖炉は薪ストーブ、そして石炭の時期が少しあり、その後は石油ストーブになったといいます。石炭の燃えるほのかな香りと、何とも言えない炎の暖かみが、体だけでなく、心も暖めてくれました。
帰りの時間が、来たときの時間より早く感じました。ストーブ列車を下車したあと、車掌さんに勧められた五所川原市の「立佞武多の館」に向かいました。小雪が舞う中、館内は以外と静かでした。立佞武多を納めているためにもの凄い高さの建物で、30メートル以上はあったと思います。じっと下から見上げると、首が疲れるぐらいです。
この立佞武多は、青森ねぶた・弘前ねぷたと続き、青森県の三地域の夏祭りとして定着してきています。「青森のねぶたを見たい」と思ったら、この3つの地域を8月のはじめにすべてまわらないといけないと思います。
そして、平成22年度製作の立佞武多は「又鬼(マタギ)」です。青森県・秋田県に跨る世界遺産「白神山地」に棲むマタギです。白神山地の自然を愛し、守ってきたのが、このマタギです。熊でも山菜でも、「とる」のではなく恵みを「授かる」「与えてもらう」という考え方をします。だから、その恵みを全部とったりはしません。それは、マタギが自らに掟を課して、山の神への畏敬とともに大自然への感謝の念を持ち、共に生きた証なのです。今年、白神山地に出かける方は、一度こちらへ寄ってみると世界遺産の別の魅力を発見する旅になるかもしれません。
ちなみに、「立佞武多の館」の向かいにある「段段」(だんだん)という居酒屋は、毎日夜7時頃から津軽三味線の生演奏があると車掌さんが教えてくれました。「今宵は五所川原市に泊まろうかなぁ」と思ったぐらい、津軽鉄道の旅は面白かったです。
夕方、五所川原市から見た「津軽富士」と言われる岩木山は、日本海の西日が反射してとても美しい光景を車窓に残してくれました。
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