その他の活動・出来事
  「菅江真澄の津軽路を語るフォーラム」開催


11月23日(日)10時から、五所川原市中央公民館2階において、「菅江真澄の津軽路を語るフォーラム」が開催され、約90名が参加しました。

はじめに、NPO法人白神自然学校一ツ森校代表理事の永井雄人より、今回のフォーラム開催に至る9月・10月のモニターツアーの紹介と講師の紹介がありました。

 
開催の挨拶をする永井雄人代表理事

第一部は、昨年の10月、「菅江真澄が歩いた白神山地の過去と今写真展」でも大変にお世話になった、秋田県立博物館学芸主事の松山修先生に、「菅江真澄、旅日記の読み方〜津軽での記録〜」という演題で40分程度ご講演をいただきました。

 
講師の秋田県立博物館学芸主事 松山 修 先生

第二部は、パネルディスカッションを行いました。
パネルディスカッションのテーマは「真澄が歩いた津軽の街道と、見たもの」と題してスタートしました。コーディネーターは、白神自然学校一ツ森校の永井雄人代表理事が行いました。

パネラーのみなさんには、9月・10月のモニターツアーをプロデュースした感想や、四街道を歩いて見えてきたことを語っていただきました。

五所川原市教育委員会
文化スポーツ課文化財保護係
主幹 榊原 磁高 氏

真澄が歩いた五所川原市市浦地区の真澄の旅の痕跡と現在の状況を話していただきました。  
つがる市教育委員会
学芸員 佐野 忠史 氏

真澄の好奇心は、食・鉱山・伝統的暮らしの道具・祭事だったりしますが、甕にも興味があり、亀ヶ岡の縄文遺跡の土器についても図絵に描いています。つがる市の真澄の辿った街道と、真澄のねらいについてお話をしていただきました。
  鰺ヶ沢町教育委員会
主任学芸員 中田 書矢 氏

真澄は東北全体を動いていますが、特に津軽では、北前船の寄港地でもあり、津軽藩の御用達湊でもある、鰺ヶ沢町には何度も通過する起点になっています。鰺ヶ沢町での、真澄の赤石古道や動きについてお話していただきました。

特に興味があるのは、菅江真澄の道程のうち、主に赤石古道を中心に白神山地に出かけているのは面白いです。是非来年は、小森地区から深谷〜黒森地区に抜けた古道を、草刈りをしながら通ってみたいですね。
 
滋賀県立大学
理事 岩坂 泰信 氏

真澄は、幼少期・青年期をどこでどのように過ごして、この東北・津軽を経て北海道に渡ろうとしたのかを知ることが必要です。
当時の本草学の動向、幕藩体制と本草学との関係など、全国的な動きの中で真澄を眺めてみるとどうなるかについて話していただきました。

みなさんの話を聞いてきて、菅江真澄という人物は、紀行家・民族学者・本草学者・記録者・イラストレーターなど、マルチな才能をもった人物であることを理解いただいたと思います。
 
地域再生研究所
執行役員 井上 弘司 氏

地域再生研究所を主宰し、観光カリスマでもある井上さんに、「津軽は観光ネックレス」というお話をしていただきました。

菅江真澄が津軽に滞在した9年間、何に興味を持ったのか、真澄の好奇心や各市町村での出来事が、日記をひも解くと散りばめられています。
晩年、秋田で亡くなった真澄は、秋田で記録として多くのものを残していますが、津軽を歩いた当時は、まだまだ若い30代〜40代ということで、血気盛んでした。地域の暮らしや伝統的な祭事、本草学からくる薬師としての活動が活発で、津軽藩からもその技能を買われてお抱えとなっていることがあげられます。

 

津軽には、皆様ご承知の様に、小説家太宰治がいます。吉田松陰も、目的は違いますが、「松陰の道」があります。伊能忠敬も、この津軽に来ています。津軽と言えば、りんご・シジミ・弘前城・ストーブ列車の津軽鉄道・太宰 治の斜陽館・青森ヒバの里・地吹雪ツアー・・・白神山地もありますが、この菅江真澄と観光というのは、結びつくものなのでしょうか。

 

会場からも、もう少し五所川原市に真澄の痕跡の話はないのか等、4名の方から質問をいただき、担当ごとにパネラーの方が答えてくれました。

最後に、閉会の挨拶を青森中央学院大学講師でもあり、白神自然学校白神自然学校一ツ森校校長である、五所川原市在住の大谷太智雄先生にお願いして、フォーラムは無事終了しました。

引き続き、菅江真澄の取り組みを明年も実施していくことを誓いました。


■新聞等の記事掲載■
 @読売新聞の告知記事11/12  A東奥日報社の記事11/24
 B五所川原市の広報記事    C五所川原市の広報表紙