その他の活動・出来事
  株式会社モリタ『白神ぶなの森基金』贈呈式2016


6月3日(金)午前10時より、秋田市山王の株式会社モリタの2階オフィスでたくさんのマスコミ報道社がいる中、モリタカバン様が2013年より社会貢献活動の一環として始められた、「白神ぶなの森基金」の贈呈式が行われました。この基金は昨年一年間、モリタカバン様の店舗に設置した寄附箱にお客様から頂いた寄附金に、同額の寄附金をモリタカバン様が行い、贈呈して下さっています。今年で13回目となります。

 

モリタカバン様は、社員の皆様は毎回、白神山地で実施されている植樹祭にも参加されています。長くこの活動を続けている事に関して、代表取締役の盛田良紀社長は、「私たちの郷土にある世界自然遺産を長く守っていく事は、郷里で社会活動していく企業人として当たり前のことであり、地球環境の保全の為にも、お客様や社員の皆様と共に、これからもこの活動を続けていきたい」と、この活動の意義を述べられていました。

 

また、この基金を贈呈して頂いている、白神山地を守る会の永井雄人代表は、株式会社モリタ様には、貴重な活動として、寄付だけではなく、会長・社長様自らが白神山地を訪れ、植林活動にも参加され汗をかいている事に感謝すると共に、これからも多くの人に支えられながら、白神山地の保全・保護活動に努力するという事を決意していました。

 

また、マスコミからも、どのような形で寄附金をお使いになられるのか等、たくさんの質問を頂きました。会長・社長様とも、山の話や山菜などの話を親しく懇談させて頂いて、無事贈呈式を終えることができました。大変にありがとうございました。大切に使わせて頂きます。

■新聞記事 2016.06.08秋田魁新報

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贈呈式開催の前日に、秋田の国際教養大学近くの秋田県林業研究研修センターにお邪魔し、「アオヤジロ」という突然変異でできたスギの挿し木を一本頂く事になりました。

秋田で亡くなった、江戸時代の紀行家菅江真澄が、突然変異で、葉っぱの部分が黄色くなっているアオヤジロを発見して日記に残したことから、秋田県の大切な木ともされています。
また、黄金杉もあり、挿し木の時には葉が黄金色をしているのが特徴です。

今回は車で出かけたので、能代市の「風の松原」で車を止めて少し散策しました。秋田県の海岸線の延長は263kmに及びます。このうち八森浜田、男鹿半島、金浦・象潟の岩礁地帯を除くと全て砂丘の発達した砂浜で、昔からその砂浜には、秋から早春の半年間、シベリアから吹きつける北西の季節風が絶え間なく日本海の荒波と飛砂(ひさ)を叩きつけていました。海沿いの村々では、田畑や道路、家までも埋め尽くしてしまう飛砂の被害に苦しんでいて、それを防ぐべく、多くの投資家たちが砂防林の造成に心血を注ぎました。

 

しかし、その苦労や努力は、狭い地域の点に終始していたなか、栗田定之丞という下級武士がでてきて、その功績は絶大なものがありました。緻密な観察によって、古ワラジやカヤを束ねて飛砂を防ぎ、その後方にヤナギやグミを植え、根付いたら松苗を植えるという栗田流の植林法を確立し、現在の秋田県を日本一の水稲の栽培地にしたのです。
現在の能代市から秋田市までの120kmにわたる砂丘地一帯にも植樹し、田畑や家屋が砂に埋められることのない黒松の砂防林を完成させたのです。栗田定之丞の死後も、栗田方式の植林法によってクロマツが植えられてゆき、江戸末期には、数百万本の松原が秋田藩領の長い海岸を守るようになりました。これらの松原こそ、秋田藩の長城というべきものだったのです。その姿が、今の「風の松原」として残っています。松の巨木とでもいいますか、20メートル以上の黒松が、風で樹と樹がぶつかりあい、人が叫ぶような声が聞こえます。そして今も、広大な能代市を中心とした穀倉地帯を守っています。

   秋田県の五城目町の道路沿いにあった、
 菅江真澄の歩いた街道の標柱です。
 短歌も書かれていました。