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その他の活動・出来事 |
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第4回「森里海を結ぶフォーラムin岩手」
参加報告 |
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10月5日(土)〜6日(日)の2日間、岩手県住田町にある五葉地区公民館多目的ホールにおいて、「森里海を結ぶフォーラムin岩手」が開催されました。主催は、「森里海を結ぶフォーラム」と「ふるさと創生大学」でした。
住田町は、青森県から車で向かうとすると、花巻JCTから釜石線に入り、遠野市を過ぎて、釜石市の手前にある、山に囲まれた町です。結構遠くて、一端盛岡市内に泊まって、5日の朝住田町に入りました。素朴な地域で、周りは山だらけの地域で、鰺ケ沢町の一ツ森地区と変わらない地域で、青森県の田舎から岩手県の田舎町に出かけた感じで、共感を覚えました(笑)。
今回出かけた理由は、白神と平内町で展開している植林プロジェクトの講演依頼があった為です。最初に、五葉山火縄銃鉄砲隊の演式が行われ、勇壮な若者がサムライの甲冑姿で現れて火縄銃発砲の演技が公開されました。全国から訪れた参加者への祝砲、というイメージでした。五葉地区公民館多目的ホール近郊の山々にこだまして、大きな発砲音が響いていました。ふと、熊対策には最高と思いました。
さて、フォーラムは、森里海を結ぶフォーラム実行委員長の田中克実行委員長の挨拶からスタートしました。
縄文の里住田町は、縄文人が10000年も定住した町とのことで、山に暮らして海を見る、海に暮らして山を見る生活をしてきた地域であるという話がありました。 また、日本ウナギの生息地作りを目指す考えを話し、世の中SDGs(持続可能な開発目標)を掲げた取組をされているが、SUGs、SJGsな取組みをしていきたいという発言がありました。「U」とはうなぎの事です。
そして、2日間の開幕宣言です。
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その後、朗読劇「源流の息づかい」を、ふるさと創生財団の皆さんが行いました。
そして、基調講演「勇気を出して人生を創ろう」と題して、池上惇京都大学名誉教授・ふるさと創生大学学長の講演がありました。地元の技術を持っている人達を私は「先生」と呼ぶという考え方や、地域の要望に答えていく姿勢や、プログラム学習を中心とした創生大学の活動を紹介してくれました。年々高齢化する地域住民をいかにして楽しく老いていくか、という課題に挑戦していて、本人も90歳を超えていました。
ゲストスピーカーとして、森里海の間を結ぶ現場からということで、一人目は地元住田町を知る「すみた森の案内人」の会長、吉田洋一さんが「山を知る・川を知る」と題して、住田町の活動と五葉山の魅力を伝えてくれました。
次に「私の森里海の物語」と題して、「おはなしころりん」代表の江刺由紀子さんが、活動紹介してくれました。
次に「白神山地を守る会」の永井雄人代表が、「白神山地と陸奥湾」というざっくりしたタイトルで、クマゲラの棲む白神の森の復元再生プロジェクトと陸奥湾の高温障害からホタテを守るプロジェクト事業の2つの話を紹介しました。
永井代表は、苗木は白神山地周辺の森から採取した広葉樹であり、世界遺産という厳格な森づくりを進める為には「白神産のブナ」という厳格なルールを遵守してこのプロジェクトを展開していることや、2010年に陸奥湾のホタテが全滅し、ホタテ漁師の発言から始まった陸奥湾の環境保全活動が、現在まで続いている植樹祭であるなどの話を紹介し、共に森の豊かさが、川を伝わり海の豊かさという循環型の仕組みが里の暮らしを豊かにしているという話をしました。
永井代表は、遠方の為にそこまでの参加となり、帰りは釜石市経由で鰺ケ沢町に向けて北上しました。子供が小さな時に訪れた三陸海岸の面影は、今や防潮堤が高く、海が中々見えない状態でした。海の近くにあった家々は高台に移動し、道路も高台にでき、仙台市から八戸市方面に向かう道路は快適になりましたが、トンネルの数がものすごく増えました。
ふとそんな帰途で思ったことは、鉄道網が太平洋沿線側に発展してきた海洋国、日本国は昔の繁栄は北前船で日本海でした。しかし、今の日本は地震・火山・台風や土砂崩れ・津波などなど災害国日本、それと自然災害での熊やイノシシの北上、農産物の被害の広がり、人口減・高齢化問題など、人間と自然との向き合い方が変わりつつあることに、私たち人間も変わろうとしないといけない、気づかなくてはいけないと思いました。
東日本大地震から12年、災いは忘れた頃にやってくると言いますが、今回の岩手県出張は様々な記憶と危機管理意識を思い出させてくれました。
「五葉山の彼方より」という大正、昭和の応援歌を口づさみながら住田町を後にしました。 |
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