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神秘の「青沼」へ


赤石渓流沿いにある一ツ森地区は、赤石マタギの故大谷石之丞さんのマタギの歴史を知らずして語ることはできない。石之丞さんは、昭和62年、82歳で亡くなるまで、60年以上もの間獲物を追いかけ、78頭もの熊を仕留めた大マタギである。マタギの大谷一族の総師、大谷吉左エ門さんから、マタギと川魚の狩猟の手ほどきを受けた1人である。そして、この地区は藩政時代からマタギ村として知られ、石之丞さんは、この一ツ森村で一生を終えた人物である。彼の業績を後世に残す為、その家族の家の前には、胸像が今でも白神山地の方向をむいて建っている。

この石之丞さんが晩年こよなく愛した「幻の沼」が、白神山地の中にある。この青沼を捜しに8月下旬、赤石渓流を探しに出た。森林管理署がスギの造成地を拡大する為につくった吊り橋があった。今は朽ちてしまい、当時の道も今は鬱蒼としたた森となってわからない状態であった。

石之丞さんのご子息の石雄さんは、体を悪くして動けない状態なので 当時、大谷石之丞さんのマタギの歴史を「青沼」という冊子に綴った鶴田要一郎先生から、現地の場所の話を聞き、案内を頂く予定でいた。
春先、鶴田先生のご自宅を訪ね、この青沼に一緒に行った時の話を伺った。十二湖の青沼の青色にひけをとらないぐらい、きれいな青色をした沼だというのである。当時は、大きな鯉を沼に放して、自分が建てたマタギ小屋から釣り糸を垂らし、鯉を釣っていたというのである。石之丞さんは、500メートル先の山からこの青沼に水を引き、ここでのんびり過ごしていたという。鶴田先生も「是非、もう一度行ってみたいものだ」と言っていましたが、8月末に出かけた時は天気が曇りがちで、雨が降ったり止んだりしていたので、だいたいの場所の確認だけしようと思い、出かけることにした。

8月18日(金)は、雨が降ったと思えば止んだりと安定しない天候でした。赤石渓流線を上っていき、途中から赤石渓流の川原に下りて行くと、吊り橋の残骸が見えてきました。鉄骨の骨だけの吊り橋は、長い年月を思い出させます。スギの植林等で使われていた当時は、かなり頑丈な吊り橋だったのでしょう。幅も1メートルぐらいあり、きちんと残っていたらとても素晴らしい橋でした。

 

赤石川の水の色は、濁り水で土色をしていました。まずは、川こぎをして対岸まで行くことにしました。川は数時間前に降った雨水が流れてきたのか、葉っぱや木の葉が混じっています。水の匂いも、土の入った水のにおいです。膝上ぐらいまでの浅瀬を探して渡りました。対岸は鬱蒼としていたので、とにかく登り口みたいな所を見つけ、ナタで下草や竹を刈り払いました。そうしたら、吊り橋のコンクリートの土台だけの部分が残っている場所にたどりつきました。 

そこからは勘を頼りに、山に入って行きました。ナタだけが頼りです。ツルがあちこちにあったり、杣道みたいなところを頼りによじ登って行きました。途中、スギ林やブナ、トチノキ・イタヤカエデなどがありました。最初は、左側に沢が流れて水音がしましたが、高度が高くなるにつれて水音は小さくなり、沢も小さく見えてきました。

突然、大きなカツラの木が目前にあらわれました。その木の周りは、大地から水がわきあがって薄い霧を発生させていました。すこし汗をかいていたので、手袋を脱いで顔を洗いました。なんと冷たいことか、すぐ脇に置いたメガネのレンズが曇って見えなくなるほど冷たい水でした。水筒に水を汲んで一気に飲みましたが、かき氷を食べたときに眉間のあたりがジーンとくるのと同じ感覚になりました。とてもおいしいわき水です。周りは山菜のミズ畑になっていました。そこでしばしの休憩をして、また山を登っていきました。すると、1つの尾根筋が見えてきました。 

その尾根筋を登っていきましたが、沢からはだんだん遠くなり、その尾根がパタっと目前からなくなりました。これはどっちにいくか―、そこでハタと迷いました。方位計を調べ、北西を目指し、地形図を見ながら場所を特定し、かなりきつい勾配の山を登りました。すると、目前に小屋らしきものが見えてきました。一瞬「あれっ」と叫びました。もしかして、あれが目指していた青沼の小屋かも知れない。そう思ったら、足は駆け足になり、急な坂を一気に登っていました。

だんだん近づくにつれて、小屋であるという輪郭がはっきりしてきました。そして小屋の近くにたどりつくと、沼が見えてきました。水がとても少ない沼でした。これが「青沼だ」と思いました。
しばし、呆然と青沼を見たまま動けませんでした。波一つもたたない青沼は、とても神秘的なものでした。こんな丘陵の上にマタギ小屋があり、沼があるなんて不思議でしょうがありません。マタギ小屋が気になり、その中をのぞきましたが、薪がたくさん積んであったり、鍋などが入っているようでした。

その後、沼の周りをナタを使って竹を払いながら一周しました。途中、500メートル先から水を運んだと思われる水道のパイプみたいなものが見つかりました。沼の底は、堆積した木の葉っぱか見えました。木の枝を沼の真ん中に投げて何かいないかと試してみましたが、魚や鯉の反応はありませんでした。沼の周りを歩いているといろんなナタメがありました。中には「白神」と書いたナタメもあり、びっくりしました。

この日は天候が悪かったので、帰りの赤石川の水量が気になり、長居をすることは避け、場所の特定を地形図上でして、マークをつけて帰途につきました。途中、わき水の周りにあった大きいミズを少し失敬し、フキの葉っぱに包み、フキの皮で縛ってリックサックに担いで帰りました。赤石川にたどりつき、しばし川の水量を見ると、朝の時と変わっていなかったので、また川こぎをして戻りました。とても心地よい水の冷たさでした。
出発地点に戻り、スパイク付長靴を脱いで車に乗った瞬間、バケツをひっくり返したように雨が降ってきました。これは偶然なのか・・・。時間をはかったように雨が降ってきたことが、山の神と天の神に待っていてもらっていたかのようでした。何だか大谷石之丞さんに守られているようでした。

一ツ森に戻ってきてから、大谷石雄さん(長男)の嫁さんが自然学校で働いているので、青沼に行ってきた話をしました。すると、あの青沼は国有林の中にあって、家族は今でも森林管理署からあの場所を借りて守っているということでした。でも、その後誰もあそこには行っていません。私は、青沼の様子を伝え、大谷一族の石之丞さんに対する思いを感じました。この青沼に行ったことも、このホームページで青沼の報告をすることもすべて、大谷家に報告して了解を得て掲載させて頂きました。

神秘の青沼はありました。白神山地を本拠地として活躍した赤石マタギの精神、赤石マタギがその生活をしてきた場所「青沼」は、まだ厳然と残っています。今回の青沼を訪ねて、あらためて白神山地と共に生き抜いた「赤石マタギ」の生き方のすごさとその伝統を深く理解し、この白神山地を次世代に残していくのは、自然だけではなく、赤石マタギの生き様をも伝承することもその一つだと感じてきました。

(文責:永井雄人)