活動概念について  
 
  白神山地の世界遺産登録までの歴史的背景  
 


白神山地の保護運動は、青森、秋田の29.6qに及ぶブナ林の伐採をし、青秋林道を通して過疎に悩む地域の活性化がねらいだった。

しかし、白神の場合、地元住民の生活用水を遮断する林道建設計画は、鰺ヶ沢町の赤石川流域住民の署名運動と激しい抵抗運動により自分たちの水を守る運動となり、1981年青秋林道計画の打ち切りが決定する。この事がきっかけとなり、広大で貴重なブナの原生林の実態が、その後クローズアップされるようになっていった。


1956年、戦後まもなく、赤石川の上流に東北電力の赤石ダムが建設された。このダム建設の為に、地元の内水面(海の漁協ではなく川の漁協)漁協は水の権利を東北電力に譲渡し、漁業補償を受けた。

しかし、この補償金を巡って地元住民が二分して対立し、政治的派閥争いまで発展し、最高裁で判決までに19年の歳月を要した。この事件は、住民の間に深い傷跡を今でも残している。この時も周辺のブナを伐採した。

また、1973年に開通した旧弘西林道(日本海の岩崎村〜西目屋村までの林道。今は白神ラインという県道に昇格した)の40キロメートルの道路周辺の原生的なブナ林を次々と伐採していった。


そしてこの青秋林道建設計画は、秋田県と青森県の県境のルート変更に端を発している。県境には、青森県側に赤石川の源流部がある。また、秋田県藤里町に粕毛川の源流がある。秋田県側の藤里町住民は、本来、粕毛川源流部の上を通るルートであれば、自分たちの水源がなくなると騒ぎ、強くルート変更を営林署・秋田県に迫り、赤石川の源流部ある青森県側にルート変更をさせてしまった。


かつて、ダム建設、林道建設でブナが伐採されて、この赤石川の水が減り、有名な金鮎(鮎の腹の部分が黄色の色をしている鮎、日本では四国の四万十川と宮崎県の綾瀬川にしかいないと言われている)やシャケが川を遡ってこなくなった。また、米づくりにも支障をきたすようになっていった。

そんな歴史的経緯から、赤石川流域の住民は怒り立ち上がった。特に青秋林道の計画の場合、赤石川源流部であるということと、秋田県側がルートを押しつけて自分たちだけの水が守られればいいのか、という感情も入っている。


1990年3月、林野庁は、白神山地を森林生態系保護地域に指定した。また、1993年12月、ユネスコ協会により世界遺産、自然遺産に登録された。さらに、1997年7月、世界遺山地域連絡協議会(林野庁・環境庁・文化庁・青森県・周辺町村・自然保護団体・有識者等で構成)が、27区間を指定ルートにし、許可制入山となった。


世界遺産に指定された目的は「残す」ことにある。その観点から、保護をするという入山の総量規制が必要という考え方となった。しかし、白神山地という山は、そう簡単に入れる山ではなく、条件つきで入るしかない。そういう意味では原則自由であるという考え方と、今のように原則規制で、登山行為は許される範囲内で、という議論がその後続いている。