青秋林道問題  
 
  白神山地 青秋林道問題について  
 


この問題は大変複雑である。全国から白神問題のメールを年間数千本受信する。
その都度、私なりに誠意を持って回答してきたつもりであるが、メールの数は年々増え続け、一つ一つに回答する時間をつくることは困難となりつつある。

そこで大変申し訳ないが、ホームページを通し、わかりやすい説明文と図をつけて、この問題の理解の為のポイントをお伝えしたい。


@ 青秋林道は、青森県と秋田県の自然保護団体が協力して取り組んだように見られているが、実際は違っている。
「青森」と「秋田」は全く別物ととらえないと、この問題は、理解できない。


A 青秋林道の中止を決定づけたのは1987年秋に展開した異議意見書集めの住民運動である。この結果、全国から1万3202通、地元の青森県鰺ヶ沢町の赤石川流域の住民から1024通に及ぶ「林道建設反対」の意志を表示した署名が集まったのである。
ところで、この林道のルートはもともとは秋田県藤里町を通る予定になっていた。これが途中から、青森県の鰺ヶ沢町の赤石川源流域にルート変更がされた。
つまり、署名集めで住民運動をした時期には、秋田県側には、その住民運動の対象になるべき林道建設の現場が、既に存在していないのである。この事実を十分に認識しなくては、この問題の理解はできない。


B 青秋林道中止を決断したのは当時の青森県知事の北村正哉氏である。北村氏は反対運動が最も高揚した時期、地元青森県鰺ヶ沢町の反対運動の状況とルート変更に伴い、青森県側が不利益を受けるという情報を、夜討ち朝駆けの新聞記者から得て、青森県民のために中止を決定したのである。
その時、青森県知事の判断の中に、秋田県側の状況は入っていない。秋田県側の住民運動の情報は青森県知事の耳には全く入っていなかった。秋田県側の自然保護団体は、この点を履き違えているところに誤解の第一歩がある。
青森県知事が、会ったこともない、見たこともない他県の自然保護団体のために公共工事を中止することなどあり得ない。例えば、神奈川県の自然保護団体のために、東京都知事が公共事業の中止を決断することなどあり得るのだろうか。長野県の住民運動のために、新潟県知事が公共事業を中止することなどありうるのだろうか。そんなことは絶対にあり得ない。


C 白神山地の世界遺産登録地域約1万7000ヘクタールは、4分の3が青森県側であり、秋田県側は4分の1にすぎない。


D 最後に、この図(図を表示)は青秋林道のルート図である。右下図がルート変更後の青秋林道が青森県の赤石川の上流になっていることがわかる。


2003.04.15  白神山地を守る会

代表理事  永 井   雄  人


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※この問題のための参考文献は、以下の通り。

『ブナ原生林 白神山地を行く』 根深 誠著(中公文庫)
青森県側の中心人物である根深誠氏が、白神との関わりを書いた本。但し青秋林道反対運動について書いたものではなく、白神山地の自然、風物、民俗などを書いている本である。

『白神山地 森は蘇るか』 佐藤 昌明著(緑風出版)
青秋林道について書いた唯一のドキュメンタリー。ルート変更問題、青森県知事の決断の状況が詳しく書かれている。