天正11(1583)年、秀吉は石山本願寺跡に大坂城の普請(築城工事)を開始しました。一般的には日本のお城のシンボルは天守閣ですが、空にそびえる大天守が初めて作られたのは織田信長の安土城です。信長の後継者を自認する秀吉は、安土城をモデルとしながらも、すべての面でそれを凌駕することを目指しました。
秀吉創建の大天守は外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに使いました。また、秀吉は自ら好んで多くの来客に本丸内を案内してまわり、金銀の装飾にあふれた奥御殿の内部、大天守の各階に納められた財宝の山など、空前の富の集積を誇示して来訪者を驚嘆させました。
秀吉の大坂城は、本丸の築造に約1年半を費やし、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて、徐々に難攻不落の巨城に仕上げられました。
また、城づくりと同時に町づくりが行われ、秀吉時代の大坂は近世城下町の先駆けとなりました。
領主の邸宅である城を中心とした広大な領国の首都、そして政治・経済・軍事・文化の中心都市として城下町大坂が建設されたそうです。
私が訪れた日は天候もよかったですが、中国人がとても多く、どこか別の国に来ている気分になりました。外国人にしてみたら、私たちがヨーロッパの廃城を見たいと思う感覚なのかなあと感じました。
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