『津軽』の魅力についてご紹介
菅江真澄が残したもの(1) 〜粉本稿〜


天明5年(1785年)8月、菅江真澄は津軽に入る。8日に西津軽郡鰺ヶ沢に着き、9日に岩木山を眺めた。『南の雲のなかから現れた峰は、『ふじ見てもふじとやいはん』と歌われた岩木山である。この峰が盤椅神社であろうという人がいるが、はっきりしない。もし神のおわしますところならと、遠く離れているが拝んだ。見るたびに画に描きたくなるような、この山の姿である。この図絵は、『粉本稿』(大館市立中央図書館所蔵)にある。この図絵には、「岩木山、盤椅神社、鰺ヶ沢」の説明がついている。これ以降も菅江真澄の日記には、岩木山について数多くの記述があり、岩木山は真澄が大きく心をひかれた山の一つとされている。
【原文現代語訳】陸奥の津軽の岩木山は鰺ヶ沢という里から眺めるに、たいへん風情のある姿をしている。山の姿は富士山に似ているが、(富士山には、その姿は)かなわない。比べると、いわば鶴と鷲(とを比べると)同じである。『富士見ても 富士とやいわん 陸奥の岩木の山の 曙の空」と詠んでいる。

 

また、菅江真澄は、旅先で見た土地の祭事道具や、土地柄の印象に残った行事や伝統を図絵として残している。このコーナーでは、菅江真澄が書き残した数々の図絵を紹介したい。